かつて著書『空海の夢』のなかで、松岡正剛は空海を通して「母なるもの」を問うた。 そして今、松岡は「父なるもの」に思いを巡らせている。「ある時から、日本では“ 父なるもの”が曖昧になっていった。いんちきになっていった」。宗教は萎縮し、政治にはキックバックがはびこっている。 日本を再編集するための鍵として、一つにはジェンダーの境をまたぐこと、そしてもう一つは、二人のアーティストの方法に戻ることを挙げる。世阿弥の複式夢幻能と芭蕉の虚実論だ。これらの方法をひとことで言うと、「いないいない、ばあ」である。 わたしたちは近江 ARS TOKYO において、さまざまな「技芸」(ARS)と日本仏教のスコー プを多重・多層に合わせてかさねることによって、Another Real Style のかたちを、まだ見ぬ「別日本」の面影をあぶり出すことを試みた。
オープニング映像は俳優・ダンサーの森山未來さんによる「湖独の舞」(映 像監督:MESS /音楽:kengoshimiz)。舞台は琵琶湖。真っ暗なトンネルを抜け、湖畔で踊り、舞う。森山さんの体は徐々に湖水と一 体となってゆく。
近江 ARS のプロデューサーである百間の和泉佳奈子が開会の挨拶。「24年前、松岡さんと最初の仕事をしたのは、この草月ホール」と振り返りながら、近江に注目する意義や自身のミッションである「ふかく、おもしろく、へんな日本を仕立てる」ための思いを新たにした。
「2019年10月9日、この日からすべてが始まった」と近江ARSの先陣を切る福家俊彦(天台寺門宗・総本山三井寺長吏)。松岡に初めて出会ったとき、福家は話そうと考えていたことがすべて吹っ飛び、気がつけば三井寺の別所の話をしていたという。近江 ARS は現代の願望や要求に応えるものではなく、新しい人たちの「別なる願い」を生み出していきたいと宣言した。
青闇に沁み渡ったその第一声は、「ノスタルジー...ノスタルジア......誰も が胸の中に、胸中、去来させているものですよね」。母なるものから父なるものへ向かうなかで、「私にとってのノスタルジアは、私、今 80 歳になってますが、近江にしたい」と表明する松岡。世阿弥と芭蕉とジェンダー を携えて、父方のルーツでもある近江と向き合う。
近江 ARS の横谷賢一郎(博物館学芸員)が、大津市にある義仲寺から中継。芭蕉の墓や翁堂について巧みにレポートした。「骸は木曾塚(義仲寺)に送るべし。ここは東西の巷、さざなみ清き渚なれば、生前の契り深きところなり」と芭蕉の遺言をそらんじながら、芭蕉の業績を世に伝えた没後の偉大な門人・蝶夢についても熱弁。
江戸文化研究者の田中優子さん。「the high school Life」「遊」「アートジャ パネスク」「生と死の境界線」「ISIS 編集学校」などの松岡の仕事とともに過ごしてきた53年間をたどる。方法の知や編集の知にふれて、「知性というのは動かしてもいい」ということを学んだという。そして、近江には遊行の芸能民・宗教民によるフラジャイルな「動く信仰」が存在したことを明かした。
日本を代表する三味線演奏家の本條秀太郎さんと弟子の秀慈郎さん。近江 ARS のために作曲した「見立て三井寺」(作詞は松岡)をはじめ、バルトーク、シベリウス、バッハを演奏し、聴衆を酔わせた。秀太郎さんは近江と三味線の歴史についての物語も披露。背景の黄金色の屏風は、湖北産の絹で紡がれた和楽器の弦で特別に作られた「琴屏風」。
草月ホールはかつて前衛芸術の生まれる舞台だった。過去にはジョン・ ケージ、高橋悠治、オノ・ヨーコ、ナム・ジュン・パイクらが新しいスタイルをここで発表している。秀慈郎さんは、「見立て」や「ほだす」と いった日本の方法を若い世代の作曲家や海外の作曲家が注目していることから、なんらかの「回帰」が始まるのではと期待する。
しつらいの琴屏風は、絹糸メーカーである丸三ハシモトの代表・橋本 英宗(近江 ARS /写真)と、数寄屋建築で名高い六角屋を率いる三浦 史朗(近江 ARS)による共同制作。屏風の六面すべてを畳むと琵琶湖がほのかに浮かび上がるという前代未聞の意匠。「私たちはこの屏風を通じて、またこの近江ARSを通じて別日本というものを奏でたい」と述べる橋本。
遠州流茶道の十三世家元・小堀宗実さん。江戸初期に「綺麗さび」を生んだ小堀遠州の末裔。長浜にある菩提寺・近江孤篷庵を訪れた時、血が逆流するような熱いものを感じたという。「市中の山居」という言葉が示すように、茶道とはそもそもが「別」なものであるとして、現代の茶道 における「別」の可能性は、「心の中」に残されているとしめくくる。
小堀宗翔さんが掛け軸の入った箱を手に登壇。箱には「令和四年神無月 末の八日 近江ARS 龍門節会のみぎり松岡正剛氏に強要して即興で書するものなり」と記されている。
家元と松岡が近江ARS で「龍門節会(りゅうもんせちえ)」という季節の催しをおこなった際に、二人が合筆で書いた掛け軸「遠近(をちこち)」 は、当日のお題でもあった。遠は遠州、近は近江を意味するとともに、 昔と今、さらに今と未来の意味をも含む。お題とは日本の極めて優れた方法の一つである。
龍門節会を一緒に開催した和菓子屋の叶匠壽庵の芝田冬樹(近江 ARS)。 めいめいが好きな本のタイトルと名前を記した傘(「本の傘」)を手に登壇。 人間が自然の中に生きていることを、球体のお菓子の「吹き寄せ」で見立てて表現するなど、方法日本を取り入れた和菓子作りに邁進している。
「本の傘」は、龍門節会の参加者たちの名前と、一人一人にとって格別な一冊の本のタイトルが松岡の筆によって書かれたもの。芝田は千夜千冊 エディション『芸と道』を挙げた。傘は京都の辻倉。
松岡が猛烈な影響を受けたという前衛書家・森田子龍の弟子である稻田 宗哉さん(墨人会)。巨大な筆をもちいて「境」という字を書く。文字の骨格をつかみ、骨格を動くために、日々の鍛錬が大切であるという。「点を打つときに、打つのはいいけども、引き上げる時に愛がなければならない」と師の言葉を紹介した。
筆にたっぷりと墨を浸らせて、片手ですっと持ち上げて紙に向かう。「くっ!」「くくっ!」「くっ!」と気を強く吐きながら一気呵成に書き上げる。紙に向かってから 20秒もかからない間の出来事であった。これに松岡は、「文字は声を持っていると思う」と応じた。
一部の締めに松岡が語る。「別第なるもの、そして境、境界。『別日本で、いい。』の本で、私は「セカイは一つではない」ということを書きました。世界には、メインカルチャーや大きな文明だけではなく、いくつものバージョンがあるはずだと。いま、別日本が求められているのではないでしょうか。本日の舞台でみなさんが見せてくれているような、いろいろな別所や別人や別格があったっていい」
会場の一角では刷り上がったばかりの『別日本で、いい。』を先行販売。 本書の編集デスクを務めた広本旅人がこの日のために制作した特製「別日本Tシャツ」をジャケットの下に着ている春秋社のメンバーたち。
ドラァグクイーンのドリアン・ロロブリジーダさんが登場。ドラァグクイーンとは、「偽物だから本物であり、醜いから美しい、相反する考えを止揚する存在」であると、軽やかに言葉を紡ぐ。そのバックボーンには、 アメリカの作家スーザン・ソンタグの「キャンプ」という考え方が息づいている。
日本の言の葉を感じるある唄を歌うドリアンさん。ピアノ伴奏は上杉公志。無常の響きが会場を揺さぶる。近江ARSがきっかけで初めて近江を訪れたドリアンさんは、「気概だったり、矜持みたいなものが近江の町から漂っていた。すごく刺激になった体験」と振り返る。松岡は「白洲正子が惚れ抜いた十一面観音だってドラァグクィーンかもしれない」と添えた。
福家の司会による5人の仏教ディスカッション。近江ARSの「還生の会」 を彷彿とさせるトークバトルが垣間見られた。冒頭で福家は、果敢に仏教の根本を問う。「仏教がどうあるべきかと言いますと、やっぱり人を育む思想、これが仏教本来のかたち。時には、世間の道徳とか法律、いわゆる人倫を外れても守る、そういう意味もある」。
「言葉にはその裏に爆弾がしかけられている」と告げる仏教学の第一人 者である末木文美士さん(未来哲学研究所所長)。近江ARSの「還生の会」において仏教を全8 回に渡り講義中。この日は言語と沈黙の関係について掘り下げつつ、松岡と丁々発止を繰り広げた。曰く「終日しゃべれども一言も言わず。釈迦が八万四千の法門を説いた。でもそれは一言の沈黙でしかない」。
日本学研究者の佐藤弘夫さん(東北大学名誉教授)は草木供養塔のスライドを見せながら、「草木国土悉皆成仏」の日本らしさを話の枕 にしつつ、「コロナウイルスは果たして成仏するのか」という難問に挑戦。鎌倉時代の絵巻物に描かれた疫病神を映し出しながら、「コロナウイルスの視点に立ってこのパンデミックを見た時に、どんな風景が見えるのか考える必要がある」と説いた。
「女子学」を研究する米澤泉さん(甲南女子大学教授)。従来の女性学ではこぼれ落ちてしまうファッションや化粧、サブカルの可能性を追究する。平成に話題になった『見仏記』(いとうせいこう・みうらじゅん)と「国宝・阿修羅展」、令和にリリースされた Ado「阿修羅ちゃん」や King Gnu「):阿修羅:(」を挙げて、「まさに今、サブカルのど真ん中に仏はおわします」と読み解いた。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たとされる石山寺の第53 世座主・鷲尾龍華(近江ARS)。「何とはなしにここに仏の姿を感じる」という蓮の花が散ったあとの花托(かたく)を手にしての登壇。震災に対して抱いた無力感にふれながらも、「災害とか疫病とか、そういう物事と祈りは表裏一体になっていて、人間の無力感と一緒にあるのが祈りだ思うんです」 とやわらかに告げた。
果敢にゲストに問い続ける福家。話題はファッションやサブカルに食い込み、「倉多江美と萩尾望都と大島弓子は私が選ぶ三大少女漫画家なんです」と自身の好みを表沙汰にした瞬間、会場からは拍手喝采。最後に末木さんが「一体現実っていうものが、我々が考えている現実っていうものが、本当にそれが現実なんだろうか」と公案を残した。
開口一番「最近松岡さんのおっかけになっている」と打ち明けた作家の 佐藤優さん(元外務省主任分析官)。松岡が近江に向かった理由を、シュライエルマッハーを引きながら、「直感と感情」で掴んだと分析する。そして、このことを「沖縄」の視点を借りて、水平に存在するニライカナイから、垂直に存在するオボツカグラへと、すなわち「縦軸に移った」 とも言い換えて解説した。
左官の挾土秀平さん。日本漆喰の歴史を高速でたどりながら、岩手の花泉にある唐獅子土蔵を紹介。気仙の左官職人が作り上げた究極の漆喰だが、東日本大震災で半壊してしまった。12 年の歳月かけて挾土さんが復元した。「すごいものほど残らないのが今のにっぽん」と悔しさを滲ませる。最後に、近江の「江州白(ごうしゅうじろ)」という土の可能性を色っぽく語り、一同を魅了した。
最後のゲストは仏師の加藤巍山さん。「人間は会うべき人には必ず会う、 しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎず」と静かに口を開く。もともとギタリストだった加藤さんは、ある時から手が動かなくなってしまい、その道を断念する。失望の最中で松岡の「いろは歌」に関する文章と出会い、うつろいや面影といった日本の美へのまなざしが芽生えたとい う。
仏師や仏像というカテゴリーだけにとどまらず、アートも取り入れて、「宗教、民族、言語、国を超えた本当の祈りを未来に伝えていきたい」と語る。書籍『別日本で、いい。』には加藤さんの現代アート作品
「道標」が掲載されており、セレクトしたのは現代アートの目利きである鈴木郷史さん(ポーラ・オルビス HD 会長)。
最後のサプライズゲストに樂直入さん(陶芸家)が登壇。450 年の歴史 ある樂焼を継ぐ十五代目である。会場に来ていた美術家・森村泰昌さんの言葉を交えておこなわれた「技(ARS)」をめぐる対話は、穏やかながら凛とした厳しさが漂う。抽象絵画の始祖マレーヴィチを陶芸のモチーフにした樂さんは、新たなテーマとして音楽家の武満徹とアンリ・ベルクに取り組んでいる。
「別。とにかく別だよって。僕は別だよ、別に行くよって言って、そうしてきたかな」と樂さん。これに対して、「僕は技が好きなのよ、自分に無いせいか、技の人と一緒じゃないとイヤなの」と松岡。舞台にある巨大な木は、三浦史朗(近江ARS)が近江からこの日のために運んだ栗の木。重量はおよそ300Kg。
フィナーレで挨拶する近江ARSメンバー。会後の名残では、冨田泰伸(冨 田酒造十五代目)は甘酒と日本酒のふるまいを用意した。
琵琶湖を知り尽くす近江ARSの長老・川戸良幸(びわこビジターズビュー ロー会長)はこの日のためにタキシードを新調して臨んだ。背景は当日書かれた稻田さんの書。
名残を惜しむ来場者たち。
お菓子は叶匠壽庵の芝田冬樹が創作した「雲」。ふわふわと掴みどころのない虚実を意匠化した。
冨田酒造の無農薬米で作られている日本酒「無有(むう)」は、長浜の忘れられた在来種のお米・滋賀旭を用いている。
森山未來さんが琵琶湖で踊るオープニング映像を制作した MESSさん。
ヘッドドレスを外し、イケメンの素顔を披露したドリアンさん。
来場者におみやげとして滋賀のお米を持ちかえっていただく趣向。おもてなししているのは、近江ARSの海東英和(滋賀県議会議員/右)と山田和昭(近江鉄道/左)。
終了後、近江ARSメンバーで打ち上げをした。受付、振舞、大道具、アテンドでおこったドラマがそれぞれから明かされた。松岡も最後まで参加した。見送り間際、和泉が「もうカメラマンがいないので、ここで1枚、みんなで撮りたい」と言った。
*インフォメーション
近江ARS 第7回 還生の会「神と仏の間柄」は、秋頃にHYAKKEN MARKETにて映像販売を予定しております。
今回は現地参加がございませんので、ご了承いただけましたら幸いです。
オープニング映像は俳優・ダンサーの森山未來さんによる「湖独の舞」(映 像監督:MESS /音楽:kengoshimiz)。舞台は琵琶湖。真っ暗なトンネルを抜け、湖畔で踊り、舞う。森山さんの体は徐々に湖水と一 体となってゆく。
近江 ARS のプロデューサーである百間の和泉佳奈子が開会の挨拶。「24年前、松岡さんと最初の仕事をしたのは、この草月ホール」と振り返りながら、近江に注目する意義や自身のミッションである「ふかく、おもしろく、へんな日本を仕立てる」ための思いを新たにした。
「2019年10月9日、この日からすべてが始まった」と近江ARSの先陣を切る福家俊彦(天台寺門宗・総本山三井寺長吏)。松岡に初めて出会ったとき、福家は話そうと考えていたことがすべて吹っ飛び、気がつけば三井寺の別所の話をしていたという。近江 ARS は現代の願望や要求に応えるものではなく、新しい人たちの「別なる願い」を生み出していきたいと宣言した。
青闇に沁み渡ったその第一声は、「ノスタルジー...ノスタルジア......誰も が胸の中に、胸中、去来させているものですよね」。母なるものから父なるものへ向かうなかで、「私にとってのノスタルジアは、私、今 80 歳になってますが、近江にしたい」と表明する松岡。世阿弥と芭蕉とジェンダー を携えて、父方のルーツでもある近江と向き合う。
近江 ARS の横谷賢一郎(博物館学芸員)が、大津市にある義仲寺から中継。芭蕉の墓や翁堂について巧みにレポートした。「骸は木曾塚(義仲寺)に送るべし。ここは東西の巷、さざなみ清き渚なれば、生前の契り深きところなり」と芭蕉の遺言をそらんじながら、芭蕉の業績を世に伝えた没後の偉大な門人・蝶夢についても熱弁。
江戸文化研究者の田中優子さん。「the high school Life」「遊」「アートジャ パネスク」「生と死の境界線」「ISIS 編集学校」などの松岡の仕事とともに過ごしてきた53年間をたどる。方法の知や編集の知にふれて、「知性というのは動かしてもいい」ということを学んだという。そして、近江には遊行の芸能民・宗教民によるフラジャイルな「動く信仰」が存在したことを明かした。
日本を代表する三味線演奏家の本條秀太郎さんと弟子の秀慈郎さん。近江 ARS のために作曲した「見立て三井寺」(作詞は松岡)をはじめ、バルトーク、シベリウス、バッハを演奏し、聴衆を酔わせた。秀太郎さんは近江と三味線の歴史についての物語も披露。背景の黄金色の屏風は、湖北産の絹で紡がれた和楽器の弦で特別に作られた「琴屏風」。
草月ホールはかつて前衛芸術の生まれる舞台だった。過去にはジョン・ ケージ、高橋悠治、オノ・ヨーコ、ナム・ジュン・パイクらが新しいスタイルをここで発表している。秀慈郎さんは、「見立て」や「ほだす」と いった日本の方法を若い世代の作曲家や海外の作曲家が注目していることから、なんらかの「回帰」が始まるのではと期待する。
しつらいの琴屏風は、絹糸メーカーである丸三ハシモトの代表・橋本 英宗(近江 ARS /写真)と、数寄屋建築で名高い六角屋を率いる三浦 史朗(近江 ARS)による共同制作。屏風の六面すべてを畳むと琵琶湖がほのかに浮かび上がるという前代未聞の意匠。「私たちはこの屏風を通じて、またこの近江ARSを通じて別日本というものを奏でたい」と述べる橋本。
遠州流茶道の十三世家元・小堀宗実さん。江戸初期に「綺麗さび」を生んだ小堀遠州の末裔。長浜にある菩提寺・近江孤篷庵を訪れた時、血が逆流するような熱いものを感じたという。「市中の山居」という言葉が示すように、茶道とはそもそもが「別」なものであるとして、現代の茶道 における「別」の可能性は、「心の中」に残されているとしめくくる。
小堀宗翔さんが掛け軸の入った箱を手に登壇。箱には「令和四年神無月 末の八日 近江ARS 龍門節会のみぎり松岡正剛氏に強要して即興で書するものなり」と記されている。
家元と松岡が近江ARS で「龍門節会(りゅうもんせちえ)」という季節の催しをおこなった際に、二人が合筆で書いた掛け軸「遠近(をちこち)」 は、当日のお題でもあった。遠は遠州、近は近江を意味するとともに、 昔と今、さらに今と未来の意味をも含む。お題とは日本の極めて優れた方法の一つである。
龍門節会を一緒に開催した和菓子屋の叶匠壽庵の芝田冬樹(近江 ARS)。 めいめいが好きな本のタイトルと名前を記した傘(「本の傘」)を手に登壇。 人間が自然の中に生きていることを、球体のお菓子の「吹き寄せ」で見立てて表現するなど、方法日本を取り入れた和菓子作りに邁進している。
「本の傘」は、龍門節会の参加者たちの名前と、一人一人にとって格別な一冊の本のタイトルが松岡の筆によって書かれたもの。芝田は千夜千冊 エディション『芸と道』を挙げた。傘は京都の辻倉。
松岡が猛烈な影響を受けたという前衛書家・森田子龍の弟子である稻田 宗哉さん(墨人会)。巨大な筆をもちいて「境」という字を書く。文字の骨格をつかみ、骨格を動くために、日々の鍛錬が大切であるという。「点を打つときに、打つのはいいけども、引き上げる時に愛がなければならない」と師の言葉を紹介した。
筆にたっぷりと墨を浸らせて、片手ですっと持ち上げて紙に向かう。「くっ!」「くくっ!」「くっ!」と気を強く吐きながら一気呵成に書き上げる。紙に向かってから 20秒もかからない間の出来事であった。これに松岡は、「文字は声を持っていると思う」と応じた。
一部の締めに松岡が語る。「別第なるもの、そして境、境界。『別日本で、いい。』の本で、私は「セカイは一つではない」ということを書きました。世界には、メインカルチャーや大きな文明だけではなく、いくつものバージョンがあるはずだと。いま、別日本が求められているのではないでしょうか。本日の舞台でみなさんが見せてくれているような、いろいろな別所や別人や別格があったっていい」
会場の一角では刷り上がったばかりの『別日本で、いい。』を先行販売。 本書の編集デスクを務めた広本旅人がこの日のために制作した特製「別日本Tシャツ」をジャケットの下に着ている春秋社のメンバーたち。
ドラァグクイーンのドリアン・ロロブリジーダさんが登場。ドラァグクイーンとは、「偽物だから本物であり、醜いから美しい、相反する考えを止揚する存在」であると、軽やかに言葉を紡ぐ。そのバックボーンには、 アメリカの作家スーザン・ソンタグの「キャンプ」という考え方が息づいている。
日本の言の葉を感じるある唄を歌うドリアンさん。ピアノ伴奏は上杉公志。無常の響きが会場を揺さぶる。近江ARSがきっかけで初めて近江を訪れたドリアンさんは、「気概だったり、矜持みたいなものが近江の町から漂っていた。すごく刺激になった体験」と振り返る。松岡は「白洲正子が惚れ抜いた十一面観音だってドラァグクィーンかもしれない」と添えた。
福家の司会による5人の仏教ディスカッション。近江ARSの「還生の会」 を彷彿とさせるトークバトルが垣間見られた。冒頭で福家は、果敢に仏教の根本を問う。「仏教がどうあるべきかと言いますと、やっぱり人を育む思想、これが仏教本来のかたち。時には、世間の道徳とか法律、いわゆる人倫を外れても守る、そういう意味もある」。
「言葉にはその裏に爆弾がしかけられている」と告げる仏教学の第一人 者である末木文美士さん(未来哲学研究所所長)。近江ARSの「還生の会」において仏教を全8 回に渡り講義中。この日は言語と沈黙の関係について掘り下げつつ、松岡と丁々発止を繰り広げた。曰く「終日しゃべれども一言も言わず。釈迦が八万四千の法門を説いた。でもそれは一言の沈黙でしかない」。
日本学研究者の佐藤弘夫さん(東北大学名誉教授)は草木供養塔のスライドを見せながら、「草木国土悉皆成仏」の日本らしさを話の枕 にしつつ、「コロナウイルスは果たして成仏するのか」という難問に挑戦。鎌倉時代の絵巻物に描かれた疫病神を映し出しながら、「コロナウイルスの視点に立ってこのパンデミックを見た時に、どんな風景が見えるのか考える必要がある」と説いた。
「女子学」を研究する米澤泉さん(甲南女子大学教授)。従来の女性学ではこぼれ落ちてしまうファッションや化粧、サブカルの可能性を追究する。平成に話題になった『見仏記』(いとうせいこう・みうらじゅん)と「国宝・阿修羅展」、令和にリリースされた Ado「阿修羅ちゃん」や King Gnu「):阿修羅:(」を挙げて、「まさに今、サブカルのど真ん中に仏はおわします」と読み解いた。
紫式部が「源氏物語」の着想を得たとされる石山寺の第53 世座主・鷲尾龍華(近江ARS)。「何とはなしにここに仏の姿を感じる」という蓮の花が散ったあとの花托(かたく)を手にしての登壇。震災に対して抱いた無力感にふれながらも、「災害とか疫病とか、そういう物事と祈りは表裏一体になっていて、人間の無力感と一緒にあるのが祈りだ思うんです」 とやわらかに告げた。
果敢にゲストに問い続ける福家。話題はファッションやサブカルに食い込み、「倉多江美と萩尾望都と大島弓子は私が選ぶ三大少女漫画家なんです」と自身の好みを表沙汰にした瞬間、会場からは拍手喝采。最後に末木さんが「一体現実っていうものが、我々が考えている現実っていうものが、本当にそれが現実なんだろうか」と公案を残した。
開口一番「最近松岡さんのおっかけになっている」と打ち明けた作家の 佐藤優さん(元外務省主任分析官)。松岡が近江に向かった理由を、シュライエルマッハーを引きながら、「直感と感情」で掴んだと分析する。そして、このことを「沖縄」の視点を借りて、水平に存在するニライカナイから、垂直に存在するオボツカグラへと、すなわち「縦軸に移った」 とも言い換えて解説した。
左官の挾土秀平さん。日本漆喰の歴史を高速でたどりながら、岩手の花泉にある唐獅子土蔵を紹介。気仙の左官職人が作り上げた究極の漆喰だが、東日本大震災で半壊してしまった。12 年の歳月かけて挾土さんが復元した。「すごいものほど残らないのが今のにっぽん」と悔しさを滲ませる。最後に、近江の「江州白(ごうしゅうじろ)」という土の可能性を色っぽく語り、一同を魅了した。
最後のゲストは仏師の加藤巍山さん。「人間は会うべき人には必ず会う、 しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎず」と静かに口を開く。もともとギタリストだった加藤さんは、ある時から手が動かなくなってしまい、その道を断念する。失望の最中で松岡の「いろは歌」に関する文章と出会い、うつろいや面影といった日本の美へのまなざしが芽生えたとい う。
仏師や仏像というカテゴリーだけにとどまらず、アートも取り入れて、「宗教、民族、言語、国を超えた本当の祈りを未来に伝えていきたい」と語る。書籍『別日本で、いい。』には加藤さんの現代アート作品
「道標」が掲載されており、セレクトしたのは現代アートの目利きである鈴木郷史さん(ポーラ・オルビス HD 会長)。
最後のサプライズゲストに樂直入さん(陶芸家)が登壇。450 年の歴史 ある樂焼を継ぐ十五代目である。会場に来ていた美術家・森村泰昌さんの言葉を交えておこなわれた「技(ARS)」をめぐる対話は、穏やかながら凛とした厳しさが漂う。抽象絵画の始祖マレーヴィチを陶芸のモチーフにした樂さんは、新たなテーマとして音楽家の武満徹とアンリ・ベルクに取り組んでいる。
「別。とにかく別だよって。僕は別だよ、別に行くよって言って、そうしてきたかな」と樂さん。これに対して、「僕は技が好きなのよ、自分に無いせいか、技の人と一緒じゃないとイヤなの」と松岡。舞台にある巨大な木は、三浦史朗(近江ARS)が近江からこの日のために運んだ栗の木。重量はおよそ300Kg。
フィナーレで挨拶する近江ARSメンバー。会後の名残では、冨田泰伸(冨 田酒造十五代目)は甘酒と日本酒のふるまいを用意した。
琵琶湖を知り尽くす近江ARSの長老・川戸良幸(びわこビジターズビュー ロー会長)はこの日のためにタキシードを新調して臨んだ。背景は当日書かれた稻田さんの書。
名残を惜しむ来場者たち。
お菓子は叶匠壽庵の芝田冬樹が創作した「雲」。ふわふわと掴みどころのない虚実を意匠化した。
冨田酒造の無農薬米で作られている日本酒「無有(むう)」は、長浜の忘れられた在来種のお米・滋賀旭を用いている。
森山未來さんが琵琶湖で踊るオープニング映像を制作した MESSさん。
ヘッドドレスを外し、イケメンの素顔を披露したドリアンさん。
来場者におみやげとして滋賀のお米を持ちかえっていただく趣向。おもてなししているのは、近江ARSの海東英和(滋賀県議会議員/右)と山田和昭(近江鉄道/左)。
終了後、近江ARSメンバーで打ち上げをした。受付、振舞、大道具、アテンドでおこったドラマがそれぞれから明かされた。松岡も最後まで参加した。見送り間際、和泉が「もうカメラマンがいないので、ここで1枚、みんなで撮りたい」と言った。
*インフォメーション
近江ARS 第7回 還生の会「神と仏の間柄」は、秋頃にHYAKKEN MARKETにて映像販売を予定しております。
今回は現地参加がございませんので、ご了承いただけましたら幸いです。